Grade 91の登場と新たな壁
1970年代から80年代にかけて開発・実用化されたGrade 91(改良9Cr-1Mo鋼)は、従来の2.25Cr-1Mo鋼や高Cr鋼に比べて飛躍的な高温クリープ強度を有し、USCボイラの実用化に絶大な貢献を果たしました


しかし、発電効率をさらに引き上げ、蒸気条件が600℃〜620℃級の超々臨界圧(USC)へシフトしようとした際、Grade 91には無視できない構造上の課題が浮き彫りになりました。
600℃以上でのクリープ強度不足です。
NF616とは
こうしたGrade 91の限界を打ち破るべく、新日本製鐵(当時)と東京大学の藤田利夫教授らの共同研究によって開発されたのがNF616です。
NF616の名前は下記に由来します。
N:新日本製鐵(Nippon Steel)
F:藤田利夫 教授(Professor Toshio Fujita)
616:目標とする使用・耐熱温度(600℃×10万時間のクリープ破断強度16kgf/mm2以上)
NF616は後に国際標準規格であるASME Grade 92(P92 / T92)やJIS規格(火STBA29など)として登録されました。
フェライト鋼が持つ「熱伝導率が高く、熱膨張率が小さい(=熱応力が発生しにくい)」という大きなメリットを維持したまま、オーステナイト鋼に迫る高温強度を持たせることに成功した600℃級USCボイラ配管材としてUSCプラントに使用されました。
Grade 91の課題を解決したNF616のイノベーション
Grade 91の課題(600℃以上での強度低下)に対し、NF616(Grade 92)は以下の画期的なアプローチで解決を図りました。
① Moの一部を「W(タングステン)」へ置換(1.8% W添加)
Grade 91の「1.0% Mo」という配合を見直し、Moを0.5%に減らす代わりに、1.8%のW(タングステン)を添加しました(9Cr-0.5Mo-1.8W-V-Nb系)。
WはMoに比べて原子半径が大きく、結晶の中での拡散速度が極めて遅い特徴を持ちます。
これにより、600℃〜620℃の高温・長時間にわたって強力な固溶強化作用を持続させることができます。

② 600℃・長時間クリープ破断強度の飛躍的向上
Wの固溶強化とLaves相の微細析出強化の相乗効果により、Grade 92はGrade 91と比較して600℃におけるクリープ破断強度を約30%〜40%向上させました。これにより、600℃を超える過酷な蒸気条件でも安全に運用できる耐久性を確保しました。

③ 配管の「薄肉化」による熱応力軽減と建設コスト削減
強度が向上したことで、主蒸気管やヘッダー(管寄せ)などの厚肉配管の壁厚を薄く設計(薄肉化)できるようになりました。
熱応力の軽減:管壁が薄くなることで、プラントの起動・停止時に発生する内外温度差(熱応力・熱疲労)が緩和
構造の軽量化:重量が軽くなることで配管支持構造への負担が減り、建設・材料コストの削減に寄与

(出典)NIPPON STEEL ボイラ用シームレス鋼管パンフレット
世界を席巻したNF616 国内と中国で明暗を分けた「実機適用」の舞台裏
国産の革新的な高強度9Cr鋼として誕生した「NF616(Grade 92)」
600℃級超超臨界圧(USC)プラントの切り札として期待されたこの材料ですが、実は日本国内と中国とでは、その「実機の現場での使われ方」が大きく異なっていました。
国内での慎重なアプローチ:耐水蒸気酸化性を重視した選択
国内のUSCプラントにおいて、NF616は主蒸気管や高温再熱蒸気管といった「最主幹の配管」には採用されず、管寄せ(ヘッダー)など一部の適用にとどまりました。
なぜ、優秀な高強度鋼でありながら国内では主蒸気管への採用が見送られたのか?
その背景には、同時期に開発された12Cr鋼(HCM12A:Grade 122)の存在がありました。
12Cr鋼はCr(クロム)含有量が多いため、高温の水蒸気に晒される環境下で非常に優れた「耐水蒸気酸化性」を発揮します。
国内のプラント設計においては、材料のクリープ強度だけでなく、長年の運用で管内面に形成される酸化スケール(剥離によるタービン損傷リスク等)への配慮が非常に重視された結果、配管系には12Cr鋼が選ばれるという技術的判断がなされたのです。
中国での爆発的採用:USC標準材となったNF616の現在
一方、2000年代以降にUSCプラントの大ラッシュを迎えた中国では、まったく異なる展開を見せました。
中国の600℃級USC火力発電プラントでは、主蒸気管や高温再熱蒸気管の標準材料としてNF616(P92)が大規模かつ一気に導入されました。まさに世界屈指の導入実績を誇る「USCの主役」となったのです。
しかし、大規模に運用が進むにつれて、現場では新たな技術的壁にも直面することになります。
特に、溶接熱影響部(HAZ)の細粒域から発生する「Type IV割れ」などに起因する溶接部からの漏洩トラブルが報告されるようになりました。
これを受け、現在では継続的な非破壊検査や余寿命評価が厳格に実施されるとともに、設計許容応力や技術基準の見直し(見直し・最適化)が進められています。
NF616の父・藤田利夫先生の言葉から学んだエンジニアとしての原点
プラント材料や耐熱鋼の歴史を紐解いていると、時折、時を超えて胸を強く打つ言葉に出会うことがあります。
今回、600℃級超超臨界圧(USC)ボイラ等の発展を支えた高強度9Cr鋼の歴史を学ぶ中で、東京大学名誉教授・藤田利夫先生の論文(『まてりあ』第40巻 第11号, 2001年)を拝読しました。
そこに記されていたのは、世界をリードする新材料開発の裏にあった、圧倒的な現場主義とひたむきな執念でした。
『新しいボイラ鋼,ロータ鋼は45年前発見したTAF鋼の化学成分を基本にしている。このTAF鋼の発見は著者がクリープ試験機を自作し、自分で試料溶解、熱処理、クリープ試験を行って発見したもので、新しい材料の発見には王道はなく、ただ日夜をわかたず必死で研究実験をやることの大切さを教えている。』
自ら試験機を作り、自ら金属を溶かし、熱処理を施し、クリープ試験を繰り返す。
画期的な材料の誕生は、決してスマートな理論計算だけで生まれたものではなく、泥臭いまでの実験と情熱の積み重ねによるものだったのです。
さらに、藤田先生は日本の科学技術の未来について、こう続けられています。
『日本のこれからの科学技術の発展には材料の果たす役割が非常に大きいと考えられるが、90~100年前の本多光太郎先生のように、日曜・祭日は勿論、正月も返上して研究する人が今後何人現れるかが問題である。研究成果は研究費や研究者数により決まると考えられているかも知れないが、それは大きな間違いである。研究者の素質(頭脳)と努力により決まると言っても過言ではないだろう。』
「研究費や人数だけで、研究の質は決まらない」
この言葉は、現代のものづくりや技術開発の現場に携わる私たちにとっても、非常に重い問いかけを含んでいると感じます。
横綱相撲のように潤沢な予算や最新の設備、大人数の組織があれば良い成果が出るのかと言えば、決してそうではない。「どうすればこの材料の限界を超えられるか」「何がこの構造を支えるのか」と、ひたむきに課題と向き合い、泥臭く試行錯誤を重ねる情熱と努力こそが、新たな道を拓くのだと教えてくれています。
時代が変わり、働き方や環境が変化した現代であっても、「物事の本質を追求し、泥臭くやり抜く熱量」という技術者の根底にあるべき姿は変わりません。
「研究成果は予算や人数ではなく、志と執念で決まる」
現場で材料やプラント技術に向き合う重工系技術士の端くれとして、この言葉を深く胸に刻み、日々の技術的探求の座右の銘にしていきたいと思います。
<著者情報>
難波一夫
IHI/石川島播磨重工業 出身 の重工系技術士(金属部門)
中小企業診断士・労働安全コンサルタント・エネルギー管理士資格を保有
USC・PFBC ボイラの基本設計・材料評価・損傷解析を担当。 現在は火力発電設備の材料選定・余寿命評価等を得意分野とする技術経営コンサルタント
